知多四国の10日目に行ってきました。
足掛け10年。「歩き知多四国八十八か所巡り」も、目標である今年中に達成できそうです。あと2回、楽しんで歩きます。
午前の早いうちは曇り空で肌寒さを感じましたが、昼近くからは青空となり、長袖では暑いくらいでした。とは言え、8月の暑さとは比べようもなく、気持ち良いウォーキングができました。
第1日目は2012年6月17日。1番から4番礼所まで。
第2日目は2014年1月4日。5番から9番礼所まで。
第3日目は2014年3月15日。10番から12番、54番、そして番外2か所に18番。
第4日目は2014年4月27日。13番から17番、20番、そして19番。
第5日目は2015年1月11日。21番から26番、そして番外の2か所。
第6日目は2015年9月21日。72番から81番、そして番外の1か所。
第7日目は2018年4月1日。82番から88番札所まで。
第8日目は2022年5月29日。58番から65番、そして番外1か所。
第9日目は2022年6月20日。37番から39番、66番から71番、そして番外1か所。
そして今回の第10日目は、27番から36番、そして番外1か所の計11か所です。
「知多四国霊場会公式サイト」さんの知多四国徒歩mapでは、36番の遍照寺から番外の浄土寺まではバスになっていますが、私は歩きました。しかし、この師崎から小佐までの国道247号(名古屋市熱田区から豊橋市に至る一般国道)には歩道がなく、やっぱりバスを使った方が良いのかもしれませんでした。とは言え、無茶苦茶怖い思いをした訳でもありませんが…。
最寄りの金山駅から河和駅まで名鉄電車で、河和駅前から古布まで海っ子バス(豊浜線)で移動しました。古布に着いたのが7時40分ごろ。さて、歩き知多四国10日目の開始です。
27番 天龍山誓海寺
開山所禅林堂
開山所禅林堂は、27番札所誓海寺の境内にあります。そんなことは露知らず納経所で100円払ったら「200円です」と言われ、通りで大師堂が二つもあるはずで、急いで禅林堂の方へ引き返しました。
28番 浄光山永寿寺
知多四国徒歩mapはここを進めと言っていますが、嫌な予感です。
やはり…。ここは潔く迂回しました(迂回した後で分かったのですが、この藪は200mほどあったようです)。
南知多道路・豊浜IC
29番 大悲山正法寺
天福元年(1233年)、比叡山の徹円阿闍梨が、源義朝の家臣で野間で義朝とともに舅である長田忠致に殺害された鎌田政清を供養するため建立した寺である。寺がある場所は鎌田政清の居城跡であり、本尊の毘沙門天像は政清の念持物と伝わる。
Wikipedia
34番 宝珠山性慶院
33番 宝珠院北室院
ここでは30番の朱印がもらえます。
31番 宝珠山利生院
御朱印は32番でもらいます。
32番 宝珠山宝乗院
31番と32番は道を挟んで真向かいにあります。
30番 宝珠山医王寺
神亀2年(735年)、行基が薬師如来を安置して開創されたと伝わる。弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)によって再興された。建暦2年(1212年)、現在地に移転した。かつては西方の山中にあったが、建暦2年(1212年)に現在地に移転したとされる。かつては大伽藍を持ち、一山十二坊の塔頭が有する知多半島屈指の大寺院だった。現在は、塔頭(禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院)である四寺院によって維持管理されているとのこと。
周囲には「大井の五ヶ寺」と呼ばれる5つの寺院があり、いずれも真言宗豊山派である利生院(第31番)、宝乗院(第32番)、北室院(第33番)、性慶院(第34番)は医王寺の塔頭である。この4寺院には住職がいるが、医王寺は無住の寺である。師崎の遍照寺、篠島の医徳院、日間賀島の大光院もやはり医王寺の塔頭である。
Wikipedia
午後近くになり青空となり、暑くなってきました。
上陸大師像(一番上の画像)はこの先の聖崎(ひじりざき)公園にありました。
35番 神光山成願寺
36番 天永山遍照寺
遍照寺は、知多半島最南端の札所となります。ご本尊は知多四国霊場では唯一の弁財天とのことです。
昼食は、前回(歩き知多四国9日目)食べ損ねたしらす丼。
番外札所 青泰山浄土寺
小佐からはまた海っこバスで、河和駅まで(途中に名鉄内海駅があるが、河和まで行った方がバス代と電車代を合わせると、河和まで行った方が安くなります)。
バスの時間まで40分ほどあり、堤防で釣りをする人を眺めながらうつらうつらしていました。
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