2017年の「大人の修学旅行 in 京都」から7年、旅したのがつい最近のような気がしていましたが、月日が経つのは早いものです。京都の時は歩いて廻りましたが、今回は自転車をレンタルしての奈良見学です。実際のところ私は、なにも考えず今回も歩くつもりでしたが、自転車にしてよかったです。計画したコースから考えれば、歩きでは無理で見学時間を無視したものでありました。自転車を予約してくれた同行者ranranさんに感謝です。
予定コースは…
1.平城宮跡歴史公園(奈良文化財研究所 平城宮跡資料館)
2.唐招提寺
3.薬師寺
4. 興福寺
5.正倉院
6.平城宮跡歴史公園(遺構展示館)
*結局は4の興福寺で終了となりました。
まずは平城宮跡歴史公園内にある「奈良文化財研究所 平城宮跡資料館」の見学です。平城宮跡のことが分かりやすく解説されており、しかも無料で見学できます。
平城宮跡資料館について
平城宮跡は、戦前の大正11年(1922)、地元の人々の熱心な顕彰(けんしょう)活動の結果、いまの第二次大極殿、東区(ひがしく)朝堂院などの範囲が国の史跡に指定され、戦後の昭和27年(1952)には、史跡のうちでも特に重要で国を代表するような遺跡である特別史跡となりました。
平成10年(1998)には、「古都奈良の文化財」の構成要素の1つとして、世界文化遺産にも登録されています。
こうした平城宮跡の発掘調査を昭和34年(1959)より今日まで継続的におこない、平城宮・京や奈良時代、そして、不動産文化財の調査・研究をリードしてきたのが、昭和27年(1952)に創設された奈良文化財研究所(元・奈良国立文化財研究所)です。
平城宮跡資料館は、発掘調査の成果をもとに平城宮・京跡のことを分かりやすく解説する展示公開施設として、昭和45年(1970)に馬寮(めりょう)跡に建てられました。平成30年(2018)3月には平城宮跡歴史公園が開園し、そのガイダンス施設である平城宮いざない館が開館し、奈文研の貴重な文化財を同施設でも公開できるよう提携し、展示監修を行なっています。同年以降、平城宮跡資料館は、それまでの平城宮・京の展示に加えて、考古学や奈良時代に限らない奈良文化財研究所の最新の研究成果を展示公開する施設と位置づけられています。
平城宮跡資料館ホームページ - 奈良文化財研究所
photo by エリオットさん
次の目的地は唐招提寺です。来日後10年のうち最後の5年を、戒律を学ぶ人たちの修行の道場「唐律招提」として、天平宝字3年(759)に鑑真和上の私寺として始まりました。
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良県奈良市五条町にある律宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は盧舎那仏。開基(創立者)は唐出身の僧鑑真[1]である。鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧・宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものである。寺名は当初は「唐律招提」と称した。「招提」は、サンスクリットのチャートゥルディシャ・サンガ(「四方」を意味するcāturdiśaに僧団組織を意味するサンガをあわせた語。現前する僧だけでなく、全ての僧のための組織を意味する)に由来する中国語で、四方から僧たちの集まり住する所を意味した。鑑真研究者の安藤更生によれば、唐では官寺でない寺を「招提」と称したという。「唐律招提」とは「唐の律を学ぶ道場」の意であり、後に官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになった。
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唐招提寺と薬師寺の中間辺りにある「蕎麦切り よしむら」さんで昼食タイム。お昼前でしたがすでに順番待ちでした。なるほど、その理由が分かる美味しさでした。
昼食後は薬師寺です。戦国時代の享禄元年(1528年)に、興福寺の衆徒・筒井順興による兵火で東塔や東院堂を残し全山焼失して、現在、奈良時代の建物は東塔だけです(筒井順興にメラメラですね)。消失した建物の再建は、一般人の写経の納経料で行い、平成30年に主要な堂塔のおおよそが復興されました。
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録されている。
薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿〈きどの〉町)の地に造営が開始され、平城京への遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものである。ただし、飛鳥の薬師寺の伽藍も10世紀頃までは引き続き存続していたと見られる。
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次の目的地は興福寺ですが、道中、現れた坂道を立漕ぎし、坂の上で同行者エリオットさんから「興福寺だよ」と教えてもらったそうですが聞き逃し、私は地図を見ながらも興福寺はもっと先だと思い込んでいて通り過ぎてしまいました。東大寺辺りまで来て通り過ぎたことに気付き引き返しました。それにしてもこの辺りは非常に混雑しており、唐招提寺や薬師寺ののんびりとした環境とは大違いです。
興福寺は別格の感がありますね。藤原鎌足や不比等などが創建に関わり、中世には大和国を支配下に置いて絶大な権力をふるったとされる興福寺は、現在では外人観光客でいっぱいです。現在は五重塔が120年振りとなる修復作業中で、完成予定は2030年3月とのことです。創建当時の堂塔はすでになく、最古の建物は鎌倉時代に建てられた北円堂です。
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
南円堂(本尊・不空羂索観音)は西国三十三所第9番札所、東金堂(本尊・薬師如来)は西国薬師四十九霊場第4番札所、菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は大和北部八十八ヶ所霊場第62番札所となっている。また、境内にある一言観音堂は南都七観音巡拝所の一つである。
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平城宮跡歴史公園まで戻る計画でしたが、奈良見物はここで終了。自転車を返し、すったもんだしながら名古屋に帰ってきました。名古屋では恒例の反省会というお楽しみ会。心も身(お腹)も満たされた奈良見学となりました。
巡った三つのお寺の中で、私としては唐招提寺が一番でした。
2 件のコメント:
もっと早く帰名できると思いましたが
あんなに掛かったので切上げたのは
正解でしたね。
とはいえ私は体力イッパイイッパイでしたww
それに、完遂目指すと端折りがちなので
じっくり見学でき、大満足でした。
反省会も大満足、感謝感謝!
ranranさん、コメントありがとうございます。
深くは考えていませんでしたが、確かに予定通り行動していたら何時に帰れたのか分かりませんね。そこまで考えていたとは、さすがranranさんです。
年一くらいで、これからもお願いします。
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