私的評価
乗艦『名取』を撃沈され遭難した将兵約200名が、僅かな食糧と水のみで、手漕ぎの短艇でピリッピン沖の太平洋を300マイル踏破し生還したその記録。マイルだとピンときませんがキロに直すと480Kmにもなります。先任将校を筆頭とした士官らの優れた指揮と人心掌握術により、数人の死者を出すも無事に着岸させます。文体は読みやすく明朗、「漂流モノ」としても楽しめます。
★★★★☆
『先任将校―軍艦名取短艇隊帰投せり』とは
松永市郎著『先任将校―軍艦名取短艇隊帰投せり』を読みました。なにがきっかけでこの本を読むことになったかは忘れましたが、図書館で検索すると蔵書としてありました。昭和50年代の本で、かなり年季が入っておりボロボロでした。
フィリピン沖三百マイルの太平洋上で、敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて乗艦沈没の憂き目にあった軍艦名取短艇隊百九十五名の生還の記録。食糧も、真水もなく、航海用具も持たず、十五日間も橈を漕ぎ続け、二十七歳の先任将校の決断、次席将校の補佐、隊員の団結で、死の運命を切りひらいた海の男たちの感動の物語。
目次
第1章 撃沈
第2章 漂流
第3章 決断
第4章 橈漕
第5章 暗雲
第6章 生還
【著者紹介】
松永市郎 : 大正8年、佐賀県三養基郡に生まれる。昭和15年8月、海軍兵学校卒業。練習艦隊(香取)、「陸奥」「榛名」乗組。「古鷹」分隊長、第六艦隊司令部付、「那珂」「名取」「葛城」、内海航空隊の各通信長をへて、岩国航空隊通信長のとき終戦。海軍大尉(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) (「BOOK」データベースより)
感想
「遭難モノ」、「漂流モノ」を読むのが好きで、その手の本は片っ端らから読んでいます。その中でも、戦時中の軍人ものは異色で初めて読みました。海軍の将兵たちというプロの集団を率いたとは言え、指揮を執った先任将校は若干27歳の大尉です。年上もいるだろう兵たちを統率し、如何なくリーダーシップを発揮し、195名の将兵を生還させた事実は驚嘆に値します。我が身を振り返っても、周りの二十代の若者たちを見廻してみても、このような戦時という極限の状況かであったとしても、そんなことができる人間がいるだろうかと思います。もちろん、今の自分でも無理だと断言できます。
人生が短かったとは言え、幕末から昭和の偉人たち、いやいやもっと前からであろうが、若年者が日本の未来を左右させるような決断や行動をしているのを考えると、自分ってなんのために生れて来たのか、己の無力さをつづく思い知らされました。
文末には、著者と兵学校同期の豊田穣氏があとがきを寄せていました。私は一時期、豊田穣氏の本をむさぼり読んでいたことがありました。戦時は艦爆の操縦員で、戦後は私の地元の新聞社である中日新聞に定年まで勤めた方です。操縦していた艦爆が撃墜され、ゴムボートで3日間漂流したのち敵に救助され、捕虜となった経緯の持ち主です。捕虜にならなければ戦死必死だったでしょう。
Wikipediaの情報によると、あのアメリカ出身の日本文学者であるドナルド・キーンさんが、通訳官として最初に尋問した捕虜が、この豊田氏です。そんな豊田氏と同期だった著者の父は松永貞市海軍中将で、子はiモード開発者の松永真理さんでした。
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