私的評価
伊藤薫著『生かされなかった 八甲田の悲劇』を図書館で借りて読みました。八甲田山の遭難事故を受けて、その後の日本に生かされたのか…。
遭難事故から3年後に起きた日露戦争ではどうだったのか。一番肝心のその検証の記述が少なく感じました。それに反して、遭難事故との関りが少ない旅順攻略にはかなりのページ数が使われていたことは、本の趣旨から言って少し残念なところでした。
前作『八甲田山消された真実』では、容赦ない批判を記していたか弘前第31連隊の福島大尉のことが、今作では表現がかなり柔らかくなっていました。
★★★☆☆
『生かされなかった 八甲田の悲劇』とは
内容説明
雪中行軍とその2年後に勃発した日露戦争悲惨な「冬の戦争」の実態が暴かれる。
・目的地、目標など計画立案の杜撰さ
・凍傷予防の衛生教育の不備と不徹底
・糧食の凍結への対処法の欠如
・兵站支援の不備と欠如
・指揮命令系統の不統一と混乱
「冬の戦争」に、生かされなかった教訓の数々。
数少ない生存者たちの証言と上級指揮官たちのその後の行動から、日露戦争と大量遭難の真相に迫る歴史ノンフィクション。
1902(明治35)年1月、雪中訓練のため、青森屯営を出発した歩兵第5連隊第2大隊は、八甲田山中で遭難し、将兵199名を失うという、歴史上未曾有の山岳遭難事故を引き起こした。
のちに新田次郎の小説『八甲田山 死の彷徨』や映画『八甲田山』がともに大ヒットしたことで、フィクションでありながら史実として定着した感が強い八甲田山の雪中行軍。
その点に危機感を抱いた著者は、いくつかの疑問を明らかにし、新たな事実を掘り起こして前作『八甲田山 消された真実』を著わした。
今回はその続編として、雪中行軍の2年後に勃発した日露戦争との関連性と類似性に注目し、八甲田山の悲劇と悲惨な冬の戦争の実態に言及する。
内容は、雪中行軍の生存者たちの証言とその後の彼らの歩んだ生涯、汚点回復のため津川連隊長が執心した半年後の岩手耐熱行軍、そしてついに日露戦争へと突き進む。
完璧な要塞と言われた旅順への総攻撃と二〇三高地の激戦、無能無策な第三軍の戦いに怒った友安旅団長、そして判断を誤った立見師団長の黒溝台会戦など、雪中行軍の上級指揮官たちの日露戦争での行動が明らかとなる。
八甲田山の悲劇からなんの教訓を得ることもなく、悲惨な冬の戦争が繰り返され、多くの将兵たちが犠牲となったのである。
目次
第1章 雪中行軍の生存者たち
第2章 津川連隊長、窮余の岩手耐熱行軍
第3章 旅順総攻撃
第4章 友安旅団長の二〇三高地
第5章 歩兵第五連隊の出陣と八甲田山追憶
第6章 判断を誤った立見師団長の黒溝台会戦
第7章 冬の戦争と雪中行軍
著者等紹介
伊藤 薫[イトウ カオル]
昭和33年、青森県生まれの元自衛官。平成24年10月、3等陸佐で退官。退官後に、事実を知りたくて、執筆を始める。青森の第5普通科連隊、青森地方連絡部などを歴任。
そのため、当時の青森と津軽の事情にもある程度通じている。初めての著作『八甲田山 消された真実』(山と溪谷社、2018年)4刷りまで版を重ねた。
山と渓谷社
感想・その他
この八甲田雪中行軍遭難事件において、「生き残った11人においてはすべてが山間部の出身で、普段はマタギの手伝いや炭焼きに従事している者達だった。彼等は冬山での活動にある程度習熟していたが、凍傷に関する知識がなかった」(Wikipediaによる)とありました。また、この本によれば職業軍人である石倉大尉たちは凍傷予防の知識をもっていて、それが兵隊たちにはまったく教えられていなかったとありましたが、Wikipediaによると少し違った記述もありました。いくら極限状態の中であっても、凍傷の怖さを知らない兵たちの行いを放置して、将校らが自分たちだけ凍傷にならないように処置していたとは思えません。多少の知識はあったにせよ、兵たちとは雲泥の差があった防寒装備や携行品の違いが、凍傷の重症度の違いだったのでしょう。
31連隊と5連隊ではなにが違ったのか、この遭難事故の教訓から多くを学び、それを軍部の礎としていれば、その後のあの悲惨な昭和の戦争はかなり違ったものになっていたかもしれないし、そもそも戦争回避に動いていたのかもしれません。日清、日露と幸運にも勝ってしまったことが、そういう大事なことをふちに追いやってしまったのでしょう。
失敗から学ぶ、とても大事なことですね。
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