妖刀伝説「村正」の特別企画展
桑名市博物館で開催されている『特別企画展「村正 」』。20振りばかりの村正が全国から集合し展示されています。
その他、その一派の刀や刀装具も多く展示されています。
会期: 平成28年(2016)9月10日(土曜日)~10月16日(日曜日) ※32日間
会場:桑名市博物館(三重県桑名市京町37-1)
開館時間:午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
入 館 料:一般(高校生以上):500円 小中生以下:無料
日本刀「村正」とは
村正(むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工の名。または、その作になる日本刀の名。同銘で数代あるとみられる。別称は「千子村正」(せんじむらまさ、せんごむらまさ)。
村正は、濃州赤坂左兵衛兼村の子で、赤坂千手院鍛冶の出と伝えられている。しかしながら活動拠点は伊勢であり、定かではない。他国の刀工と同様に、室町末期に流行した美濃伝を取り入れ本国美濃の刀工の作と見える刃を焼いた作もあり、技術的な交流(坂倉関の正吉・正利・正善など・「正」の字が村正に酷似する)をうかがわせる。しかし美濃だけではなく、隣国の大和伝と美濃伝、相州伝を組み合わせた、実用本位の数打ちの「脇物」刀工集団と見られている。その行動範囲は伊勢から東海道に及ぶ。
「村正」の銘は、桑名の地で代々受け継がれ、江戸時代初期まで続いた。同銘で少なくとも3代まで存在するというのが定説である。村正以外にも、藤村、村重等、「村」を名乗る刀工、正真、正重等、「正」を名乗る刀工が千子村正派に存在する。江戸時代においては「千子正重」がその「門跡」を幕末まで残している。
なお、4代目以降、「千子」と改称したと言われているが、これは徳川家が忌避する「村正」の帯刀を大名や旗本が避けるようになったことが原因と考えられている。
Wikipedia
「村正」と言えば妖刀伝説があります。
これは家康の祖父、父、長男が殺害・切腹に使われた刀がすべて「村正」だったと言われていることから、徳川家に仇をなす「妖刀」として知られることになったようです。ただ、「村正」は伊勢桑名の刀匠でポピュラーな刀で、切れ味は抜群。
また、三河を始めとする東海地方にも村正一派が多かったそうです。現代のように通販で全国各地のモノが買える時代ではありません。となればみんなが手に入れたがるのは必定。自ずとこの地方の武士が持つ刀が、「村正」及びその一派の刀になるのは自然なことです。
その殺害・切腹に使われたのが仮に本当だとしても、そういうことを考えればなにも不思議なことではありません。妖刀伝説があったのは確かなようですが、実際のところ、なにがどうしてそうなったかは分りませんね。
「村正」の特別企画展に行ってみて
日曜日でしたが想像以上の人出で、日本刀人気を改めて感じました。また、昨今話題にもなっている刀女子、やはりここでもたくさんいました。半分以上、いや2/3の若い女性でした。隣で耳に入って来た会話を聞いていても、なかなか詳しそうでした。ちょっと前なら若い女性と日本刀なんてまったく無関係に思えたものですが、変われば変わるもんですね。そんなことはともかく、日本刀の美しさは息を飲むほどで全身がヒリヒリします。切っ先の鋭さに、研ぎすまされた刃。本当に美しいです。もう、武具ではなくて芸術品ですね。
ただ、よくこんな危ないモノをよく腰に差して持ち歩いていたものです。鞘から抜くだけで手を怪我しそうで、手入れするだけでも気疲れもしそうです。写真は無銘の刀で、これだけが写真OKでした。無銘ですが、「村正」作の伝承がある刀だそうです。
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