朝、4時起床。1階に降りると電気が点いていて妻が起きていました。「Amazonプライムで『Nのために』を観ていたら、止まらなくなった」とのこと。5時きっかりにranranさんがお迎えに来てくれて、いざ出発!
琵琶湖北部にある道の駅「あぢかまの里」に6時半くらいに到着し、トイレなどを済ませ、6時50分頃出発しました。
国道365号の北国街道を北上します。向かい風でしたがranranさんの後ろで楽させてもらいます。県道140号との分岐。右側の県道140号へ行くとあの怖い思いをした柳ヶ瀬隧道になります。ちなみに柳ヶ瀬隧道は、かつて北陸本線の木ノ本駅と敦賀駅を結んでいた国鉄の柳ヶ瀬線のトンネルです。今回はそのまま左側の国道365号を行きます。
椿坂バイパス(トンネル)を迂回するため、旧道を走ります。
phote by ranranさん
8時30分頃、椿坂峠に到着。「ザ・峠」って感じがします。
椿坂峠を下って国道に戻り4Kmほど上ると栃ノ木峠です。今回のサイクリング最高地点。
phote by ranranさん
天正3年(1575)に柴田勝家が北の庄城(福井県福井市)の城主となると織田信長の居城である安土城(滋賀県安土町)との交通網の確保が重要視され天正6年(1578)に北国街道(東近江路)が整備されました。板取宿は北国街道(東近江路)の越前国(福井県)側最終の宿場あるいは玄関口として重要視され宿馬30頭、人足60人が常備されました。江戸時代に入り人の往来が多くなると福井藩は板取番所(木造平屋建、間口3間、奥行3間半、格式のある門付)を設け、役人3人、足軽1人を常駐、刀や弓矢、火縄銃を備えさせ人物改めや荷改めを厳重に行いました。板取宿は交通の要衝で栃ノ木峠(現在の福井県南条郡南越前町と滋賀県長浜市との県境に跨る峠、標高538m)を控える宿場町として発展し江戸時代末期には戸数53戸、問屋3軒、旅籠7軒、茶屋3軒などが建ちならび一定の集落規模(人口300人前後)を一時していました(案内板には本陣、脇本陣が明記されていない事から宿場の実力者と思われる問屋が本陣の準じる格式を得ていたと思われます)。
福井県:歴史・観光・見所
国道365号と別れ、今庄宿をぐるっと周り、今庄~敦賀間の旧北陸本線跡の県道207号を走ります。
phote by ranranさん
大桐駅跡。ホームの名残が哀愁を誘います。大桐駅は、昭和37年(1962)6月に旧北陸本線敦賀-今庄間(通称:杉津線)が廃線になるまで利用されていました。
山中峠の中山信号場跡。
phote by ranranさん
中山トンネルで、1Km以上あります。非常に薄暗く、ポタポタと水が落ちてきてトンネル内は水浸しです。一番長いトンネルですが、そう言えば信号機が無かったような…。
葉原トンネル(かな?)。信号機ありの974m。
激坂を上って、「恋人の聖地」である下り線の北陸自動車道杉津PAまで行きます。敦賀湾を見下ろす絶景と、海鮮丼が食べられます(上り線のPAでは売っていないそうです - ranranさん談)。
樫曲トンネル。今サイクリングでの、旧北陸線トンネル群最後のトンネルです。
最後は国道8号でもうひと峠を越してゴールのあぢかまの里へ。到着は13時半頃でした。また走りたいコースです。
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