知多四国の12日目に行ってきました。
今回は9か所を回りましたが、これで満願しました。
前回と同じ服装で行きましたが、寒くて家を出てすぐに後悔しました。
第1日目は2012年6月17日。1番から4番礼所まで。
第2日目は2014年1月4日。5番から9番礼所まで。
第3日目は2014年3月15日。10番から12番、54番、そして番外2か所に18番。
第4日目は2014年4月27日。13番から17番、20番、そして19番。
第5日目は2015年1月11日。21番から26番、そして番外の2か所。
第6日目は2015年9月21日。72番から81番、そして番外の1か所。
第7日目は2018年4月1日。82番から88番札所まで。
第8日目は2022年5月29日。58番から65番、そして番外1か所。
第9日目は2022年6月20日。37番から39番、66番から71番、そして番外1か所。
第10日目は2022年10月20日。27番から36番、そして番外1か所。
第11日目は2022年11月27日。40番から47番、そして番外1か所の計9か所。
そして最終日となる第12日目は、48番から53番、55番から57番の計9か所です。
「知多四国霊場会公式サイト」さんの知多四国徒歩map。今回のコースは最初だけ峠超えがありましたが、ほとんどは平地で楽でした。しかし、私の方が今一つの調子でかなり疲れました。
最寄りの金山駅から内海駅まで名鉄電車で。内海駅は終着駅ですが下りたのは3人だけでした。到着は8時過ぎ、歩き知多四国12日目の開始です。
内海峠。
48番 禅林山良参寺
手入れの行き届いたお寺でした。みかんの接待を受けました。
寂しい12月の内海の海水浴場。
今から40年ほど前の高校3年生の12月(だと思う)、学校は三者面談で午前中のみ。昼から愛車AR50で師崎までツーリング。帰りは寒いし暗くなってくるし足は痛い、早く帰りたい気持ちでついついスピードアップ。そこでこのカーブ。曲がり切れずに画像中央の土手に突っ込みました。この後も自動車専用道路に入ってしまうわで、涙がちょちょ切れました。這う這うの体で家に帰ると、靴が脱げないくらい左足が腫れており、父が医者に連れて行ってくれました。翌日は私の三者面談でしたが、先生にどうしたと聞かれたときに、母親はしゃあしゃあと「家で足をぶつけて、この子はおっちょこちょいなんです」みたいなこと言ってました。そんな父は今年4月に他界し、母は認知症一歩手前です。
兄から購入したKAWASAKI AR50、格好よかったです。
49番 護國山吉祥寺
ここも清掃が行き届いていて気持ちよかったです。
だんだんと曇り空へ…。
56番 祥雲山瑞境寺
この野間の辺りの寺院は、ほとんどが手入れが行き届いていて気持ちがよいです。
52番 鶴林山密蔵院
ここも例外に漏れず、キレイで雰囲気がよいお寺でした。
ここから蜘蛛の巣を蹴散らしながら若干歩くと、「磔の松」なる源義朝を暗殺した長田親子を吊るし撲殺したと言われる松があります。
天下を統一した源頼朝は建久元年上洛の途中野間に立ち寄り父義朝を殺した長田忠致景致親子を捕らえこの松にて磔(棒つきの刑)に処したと伝えられている 以来この古松は墓標の代わりとなっているこのすぐ近くにこの長田親子の屋敷があったそうで、野間大坊からも300mほどとのこと。
53番 鶴林山安養院
織田信長の三男である信孝がこのお寺で自刃したそうです。
51番 鶴林山野間大坊
本殿は、豊臣秀吉が晩年住んでいた「伏見桃山城」の一部を江戸の寛永年間に移築した物で、愛知県の重要文化財指定になっています。
50番 鶴林山大御堂寺
現在の建物は宝永4年(1754年)に鎌倉様式にのっとり再建されたもの。
ここ大御堂寺のすぐ右横には、源義朝の墓所があり、山門横に義朝の首を洗ったとされる「血の池」があります。
乱橋跡。長田父子による義朝殺害を聞き、家臣の渋谷金王丸や鷲栖玄光らは長田邸の湯殿へ急行し、これらを長田家の家臣団が迎え撃ち乱戦した場所とのこと。
55番 雲華山法山寺
唯一例外だったのがこのお寺。ちょっと荒れている感じでした。源義朝が最後を迎えた湯殿があるとのことでしたが、見つけられずに退散しました。
曇り空となり、なんだかうら寂しくなってきました。
57番 乳竇山報恩寺
報恩寺は源義朝公の乳母で、鎌田政清(義朝の重臣で義朝を謀殺した長田忠致の娘婿)の母が、政清の菩提を弔うために建立した
これで88か所、満願です!
帰りの乗車駅である名鉄の知多奥田駅からは、なにやらよい食べ物の匂いが漂っていましたが、電車を調べると発車1分前…。慌ててホームへ駆けあがり特急電車に乗れました。
ログをとり忘れましたが、この日の歩行は14kmほどだと思われます。
満願するまで10年も掛かってしまいました。最初に一緒に行った同級生は亡くなり、その後は子供を連れて廻りました。中断している間に子供も大きくなって一緒に行ってくれなくなり、再開は一人で行くことになりました。ひとまず、終わってホッとしています。
0 件のコメント:
コメントを投稿