知多四国の11日目に行ってきました。
「歩き知多四国八十八か所巡り」の今年中の達成に向けて、残りあと18か所を回ります。今回は半分9か所を回ってきました。
前回に引き続き今回も快晴でしたが、風が強い一日でした。
第1日目は2012年6月17日。1番から4番礼所まで。
第2日目は2014年1月4日。5番から9番礼所まで。
第3日目は2014年3月15日。10番から12番、54番、そして番外2か所に18番。
第4日目は2014年4月27日。13番から17番、20番、そして19番。
第5日目は2015年1月11日。21番から26番、そして番外の2か所。
第6日目は2015年9月21日。72番から81番、そして番外の1か所。
第7日目は2018年4月1日。82番から88番札所まで。
第8日目は2022年5月29日。58番から65番、そして番外1か所。
第9日目は2022年6月20日。37番から39番、66番から71番、そして番外1か所。
第10日目は2022年10月20日。27番から36番、そして番外1か所。
そして今回の第11日目は、40番から47番、そして番外1か所の計9か所です。
「知多四国霊場会公式サイト」さんの知多四国徒歩map。今回のコースはかなりアップダウンがあり脚にきました。地元民しか知らないような、歩いていて怖くなるような道も歩かされました。
最寄りの金山駅から河和駅まで名鉄電車で、河和駅前から中須まで海っ子バス(西海岸線)で移動しました。中須に着いたのが8時30分ごろ。海を眺めた後、歩き知多四国11日目の開始です。
40番 普門山影向寺
立派な手水舎で、屋根には4匹の猿がいて、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」「せざる」とのことでした。
行くのをちょっと躊躇したくなった道。
愛知県はキャベツの粗生産額が一位ともことです。
番外札所 岩屋山奥之院
事前調査不足で、納経所を探してしまいました。ここは43番札所 岩屋寺の奥之院となり、納経所は岩屋寺となります。
43番 大悲山岩屋寺
尾張高野山宗の総本山です。これまでに巡った中で、一番の大きさのお寺です。
ここには、大師ヶ岳の八十八ヶ所霊場を参拝する大師ヶ岳回峰修行(修行体験ハイキングコース)があり、頂上にはこのような大師像がありました。この大師ヶ岳回峰修行で奥之院まで行けます。
大師ヶ岳からの眺め。
42番 瑞岸山天龍寺
大きなお耳の「愚痴聞き地蔵尊」があります。
41番 松原山西方寺
山海海水浴場のすぐ近く、国道247号線沿いにあります。オートバイツーリングしているライダーが何人もお参りに来てました。
またまた山越えして内陸部へ。まあまあの山道を歩かされました。
44番 菅生山大宝寺
本四国霊場の44番も同じ「菅生山大宝寺」とのこと。
日曜の昼過ぎ、人っ子ひとりいません…。
45番 尾風山泉蔵院
創建年は不明。内海城主一色氏によって築かれた一色城址にある。井際山観福寺の一坊であった「泉蔵坊」を、室町時代初期に一色氏により城内に移築された。現在の本堂は、1676年に再建されたもの。寺宝に1754年に榎本犀助章によって奉納された算額がある。
Wikipedia
46番 井際山如意輪寺
奈良時代の神亀年間(724年~729年)、行基菩薩の建立と伝わる観福寺の一院として創建された。南北朝時代から戦国時代にかけて観福寺は衰退し、子院の多くも荒廃していった。しかし天文2年(1533年)、帰依者によって現在地に堂宇が建立された。天正2年(1574年)、梅山和尚が中興開山となった。現在の寺号である如意輪寺は、この際に稲沢の萬徳寺から附されたとされる。
文政7年(1824年)には妙楽寺の亮山阿闍梨和尚らによって知多四国霊場が開かれ、如意輪寺は46番札所となった。当時の如意輪寺は知多半島でも有力な寺だったため、文政8年(1825年)には知多四国霊場の本部が置かれている。明治初期まで、中之郷入見神社の別当を兼務していた。
2002年(平成14年)、本堂を境内の一段高い場所まで曳き上げ、大規模な移設修繕が行われた。この際に山門や塀も整えられた。
Wikipedia
まだMTBに乗っていた頃、よく走ったコースの入り口です。この坂を登って行くとダートの下りが楽しめるコースでした。その時は知りませんでしたが、「源義朝が通った路」のようなことが書いてある板がありました。
47番 井際山持宝院
名鉄内海駅の近く。山の中腹にあり、最後の最後に石段を登らされました。
駅前に食べ物屋さんがあり、帰る前に寄って行こうと思ってましたが、持宝院から帰るとお店は閉まっていました。
しかし、ほどなく出発する電車があったのでそれに飛び乗って帰りました。
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