2022年4月3日の日曜日、名鉄電車で常滑の大野町駅まで出て、近辺の桜観賞ウォーキングをしてきました。
大草公園からベティさんの家旭公園、そして大野城跡を巡る15Kmほどのコースでした。
時折、小雨がパラつく生憎の天気ではありましたが、満開の桜を堪能できました。
大草公園(大草城跡)
知多市南部の拠点公園として、市民の健康づくり、レクリエーション活動の場に役立てられています。
広大な敷地内は多目的グラウンド、テニスコート、体育館などのスポーツゾーンが整うほか、しょうぶ・しゃくやくの花が咲く花木園、せせらぎ川に続く池、やすらぎの広場など花と水と緑のゾーンがあり、散策道を歩きながら四季折々の自然の美しさに触れられます。特に4月には、約700本もの桜が咲き、園内は美しいピンク色に染まります。多目的グランド周辺には桜のトンネルが現れます。
また屋外ステージを設置したつどいの広場、遊具の揃ったちびっ子広場など、子どもからお年寄りまで多目的に利用できます。
全国観るなび
概要
知多半島の伊勢湾側の北部にある平城。佐治氏の本拠・大野城とは矢田川を挟んで北に位置する。
城址は現在整備されて「大草公園」となり、本丸に模擬天守風の展望台が作られている。
沿革
天正2年(1574年)、この地を有していた佐治信方が長島一向一揆で戦死し、跡継ぎの佐治一成が幼少だったためか、織田信長の弟織田長益(有楽斎)が知多郡を与えられ、大野城を与えた。大野城は水利が悪いため大草の地に築城を開始したが、本能寺の変の影響で再び荒廃してしまったとも言われる。
小牧・長久手の戦い後、長益が摂津国に移封されたため完成を待たずして廃城となった。
本丸、二の丸、三の丸を配し、本丸、二の丸の周囲を堀(水堀も)と土塁で囲った梯郭式縄張が良好な状態で残り現在も見ることができる。
江戸時代に入ると、尾張藩は大草城跡を知多郡の防御上重要な地として、家老の山澄淡路守英龍に大草の地(5,000石)を与え城址近くに居を構えて城址の保全をさせ、歴代の山澄氏によって保存された。
現在でも城跡の周辺に東屋敷や西屋敷などの大字が残る。
1970年代から城址全体を公園として整備され、1979年(昭和54年)には展望台が設置された。
Wikipedia
八社神社(知多市)
ここも桜がキレイでした。
photo by ranranさん
photo by エリオットさん
ベティさんの家旭公園
知多市南部の拠点公園として、市民の健康づくり、レクリエーション活動の場に役立てられています。
広大な敷地内は多目的グラウンド、テニスコート、体育館などのスポーツゾーンが整うほか、しょうぶ・しゃくやくの花が咲く花木園、せせらぎ川に続く池、やすらぎの広場など花と水と緑のゾーンがあり、散策道を歩きながら四季折々の自然の美しさに触れられます。特に4月には、約700本もの桜が咲き、園内は美しいピンク色に染まります。多目的グランド周辺には桜のトンネルが現れます。
また屋外ステージを設置したつどいの広場、遊具の揃ったちびっ子広場など、子どもからお年寄りまで多目的に利用できます。
全国観るなび
ちょうど桜まつりが開催中の旭公園でしたが、この天候のためか人出は少なめでした。
大野城址
三代将軍徳川家光の母「小督(お江)」が最初に嫁いだ城の跡
2011年放映の、NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で、江姫「小督(お江)」がわずか10歳で現在の常滑市、大野の領主・佐治一成に嫁いだことでも脚光を浴びたのがこの大野城です。江は浅井長政と市(信長の義妹)の三女で、生まれ故郷・近江から一字を取って「江」と名付けられました。江はその後一成と秀吉の敵対のため3年で離縁され、その後三度目の結婚で徳川二代将軍・秀忠の正室となり、三代将軍となる家光を産みます。
さて大野城ですが一成追放の後、城主として信長の弟・織田長益(有楽斎)が入りますが、大野城の水利の悪さから、少し北の地に大草城の築城に取り掛かり、大野城は廃城となりました。現在は城山公園として小径や遊具が整備され、散策や遠足を楽しむことができます。城型を模した展望台からは、眼下に伊勢湾の大パノラマが広がります。
AichiNow
以前から気になっていた大野城跡。
360度の眺望が効きました。
反省会はここで。
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